おもちゃのバンバンとは?現在は閉店した80〜90年代の人気おもちゃ屋
皆さん、こんにちは!ファミコン世代ど真ん中、おもちゃに育てられたと言っても過言ではない「いろパパ」です。
突然ですが、特に30代後半~40代以上のパパママ世代の方、「おもちゃのバンバン」という名前、覚えていませんか? あの、ちょっとポップで目立つ看板、黄色と赤が印象的だったお店。
中に入れば、通路の両側にぎっしりと積まれたおもちゃの箱、キラキラ光るショーケースに並んだ最新のファミコンソフト、女の子なら誰もが憧れたであろう人形やままごとセット、男の子心をくすぐるプラモデルやミニカー…まさに子どもたちにとっての「夢の場所」でしたよね。
誕生日やクリスマスには、「バンバンに連れてって!」と親にお願いした記憶がある方も多いのではないでしょうか?

いやー、懐かしい!僕の地元にもあったよ、おもちゃのバンバン!自転車で友達とよく行ったなぁ。店内は、決して今みたいにおしゃれではなかったかもしれないけど(笑)、とにかくおもちゃが『これでもか!』ってくらい置いてあって、宝探しみたいでワクワクしたんだよね。ショーケースに張り付いて、ファミコンのカセットをどれにしようか、なけなしのお小遣いを握りしめて悩んだ時間は、最高の思い出だよ。まさに、僕らにとってのヒーローみたいな存在だった!

私も名前は聞いたことあるわ!近所にはなかったけど、テレビCMとかで見た記憶があるような…。確かに、あの頃はおもちゃ屋さんに行くのって、すごく特別なイベントだったわよね。欲しいものを指さして、親におねだりしたりして。
しかし、あれほど全国のロードサイドで見かけた「おもちゃのバンバン」は、いつの間にか私たちの街から姿を消してしまいました。「そういえば、最近見ないな…」「どうしてなくなっちゃったんだろう?」そんな風に疑問に思っている方もいるかもしれません。
その背景には、時代の大きなうねり、法律の改正、そして意外な親会社の存在が隠されていました。あの輝いていた「夢の場所」が、なぜ表舞台から去ることになったのか、その理由を紐解いていきましょう。
この記事では、
- 「おもちゃのバンバン」は、なぜあんなに人気だったのか?(成功の秘密)
- 栄光の裏にあった「意外な親会社」と「法律の壁」
- なぜ消えてしまったのか?(時代の変化、ライバルの出現、倒産の真相)
- ライバル「ハローマック」はどうなった?
- バンバンが残してくれたものとは?
などを、当時の熱気と、少しの寂しさを感じながら、「いろパパ」が詳しく解説していきます!
あの頃のワクワクを思い出しながら、一緒にバンバンの物語を紐解いていきましょう。

おもちゃのバンバンが急成長した理由|ファミコンブームと郊外型店舗戦略
「おもちゃのバンバン」が誕生したのは1985年。まさに、任天堂のファミリーコンピュータ(ファミコン)が社会現象になろうとしていた、絶好のタイミングでした。
この時代の波に乗れたことが、バンバン成功の大きな要因となります。

ファミコンブームの波に乗る!最強のキラーコンテンツ
1985年といえば、「スーパーマリオブラザーズ」が登場し、日本中がファミコンに熱狂し始めた年。子どもたちの関心は、新しいゲームソフトや関連グッズに集中していました。バンバンは、この巨大な「ファミコンブーム」の波を的確に捉え、最新ソフトはもちろん、攻略本や周辺機器まで、子どもたちの「欲しい!」の中心にあった商品を豊富に取り揃えることで、急速に支持を集めていきました。

そうだったのか!スーパーマリオとほぼ同期デビューだったんだね!道理で、僕らの世代にとっては「ファミコン買うならバンバン」みたいなイメージがあったわけだ。あの頃は、友達の家で新しいゲームをやるのが最高に楽しかったからなぁ。
「郊外型店舗」という新しいスタイルでファミリー層を掴む
当時の主流だったのは、商店街にあるような小さな個人経営のおもちゃ屋さんでした。しかし、バンバンは違いました。広い駐車場を備えた「郊外型」の店舗を積極的に展開したのです。これは、マイカーが普及し始めた時代の流れを読んだ、画期的な戦略でした。
- 車でのアクセス抜群: 家族連れが車で訪れやすく、まとめ買いもしやすい。
- 豊富な品揃え: 広い店舗スペースを活かし、ゲームソフトからプラモデル、人形、知育玩具まで、個人商店では真似できない圧倒的な品揃えを実現。「バンバンに行けば何でも揃う」というイメージを確立しました。
- 明るく入りやすい雰囲気: ポップな看板と、子どもがワクワクするような明るい店内。目的なく見て回るだけでも楽しい空間でした。
この戦略が、週末に家族で車で買い物に出かけるという当時のライフスタイルと見事に合致!バンバンは、子どもたちの「欲しい!」を叶えるワンダーランドとして、瞬く間に全国にその名を轟かせ、1995年には268店を展開する大きなおもちゃチェーンへと成長しました。
なお、「バンバンは最盛期に1,700店舗以上」と書かれることがありますが、これは靴店の「靴流通センター」を含むマルトミグループ全体の数です(1994年1月時点で1,850店。The社史「靴のマルトミ」、日経ビジネス1994年3月14日号などが出典)。

確かに、昔のおもちゃ屋さんって、ちょっと入りにくい雰囲気のお店もあったけど、バンバンは明るくて、家族で気軽に行ける感じだったのかもしれないわね。駐車場があるのは、親としてはすごく助かるポイントだったでしょうね。
おもちゃのバンバンの親会社「靴のマルトミ」と大店法の追い風

飛ぶ鳥を落とす勢いだったバンバン。しかし、その成功の裏には、後の展開に影響を与える2つの大きな要因がありました。これらが、後の急転直下の引き金となります。
意外な親会社:「靴のマルトミ」の急成長とビジネスモデル

えっ!?バンバンの親会社って、靴屋さんだったの!?それは知らなかった…!おもちゃと靴って、全然結びつかないけど…。
そうなんです。バンバンを運営していたのは、「靴のマルトミ」(名古屋。前身は1950年開業の「丸富靴店」)という、当時非常に勢いのあった靴の販売会社でした。安い靴の販売で伸び、1975年から「ロードサイド店舗」(幹線道路沿いの店舗)へと大胆に舵を切ります。1980年からは「靴流通センター」を全国に広げ、1986年には靴の販売で国内首位に立ちました。バンバンは1985年、その靴に次ぐ柱として始めた郊外型のおもちゃ店です。
さらに、「オーナーシステム」という独自の仕組みを導入しました。1987年3月に始めた仕組みで、店舗・商品は会社のものにしたまま、店長(オーナーの約5分の4は当時の社員)に販売を任せ、店の粗利益の75%をオーナーに支払うというものです。オーナーはそこから家賃・光熱費・人件費を払い、残りが自分の収入になります。現代のフランチャイズ・システムに近い形で、1990年の名古屋証券取引所への上場まで、出店の速さを支えました(The社史「オーナーシステムの導入」、原典は日経ビジネス1989年6月5日号)。

オーナーシステムっていうのも、社員のやる気を引き出しつつ、会社もリスクを抑えて拡大できる、上手い仕組みだったんだろうね。でも、それが後々、足かせにもなったのかな…?
法律の壁:「大規模小売店舗法(大店法)」という名の”防波堤”
もう一つ、当時の時代背景として重要なのが「大規模小売店舗法(通称:大店法)」の存在です。この法律は、駅前の商店街などにある地域の小規模な商店を守る目的で、スーパーマーケットやデパートといった大型店の出店を、店舗面積や営業時間、休業日数などで厳しく規制していました。
この法律は、バンバンや親会社のマルトミのような「比較的小規模な専門店チェーン」にとっては、巨大資本(総合スーパーなど)の無秩序な出店や長時間営業を防ぐ、ある種の「防波堤」のような役割を果たしていました。また、規制の対象が店舗面積500平方メートル以上だったので、各地でそれより小さいロードサイド店が増えました。つまり、この法律がある限り、バンバンのような業態は、比較的安定した市場環境の中で成長することができたのです。
おもちゃのバンバンが閉店した3つの理由|大店法廃止・SC乱立・トイザらス上陸
順風満帆に見えたバンバンとマルトミの未来に、暗い影が忍び寄り始めます。それは、1990年代に起こった、避けることのできない時代の大きな変化でした。

①【法律改正】”防波堤”の崩壊:大店法の緩和・廃止
まず大きかったのが、「大店法」が段階的に緩和され、最終的に廃止(1992年1月の改正で、厳しく調整される第一種大規模小売店の基準が1,500→3,000平方メートルに引き上げられ、2000年6月1日に廃止。同じ日に「大店立地法」が施行)されたことです。この背景には、日本市場の閉鎖性を批判し、市場参入を目指すアメリカからの外圧(特にトイザらス参入の後押し)があったとも言われています。
この法律の「壁」が取り払われたことで、日本の小売業界の風景は一変します。

法律が変わったことで、大型スーパーとかショッピングセンターがどんどん建てられるようになったんだね。それが、バンバンや親会社のマルトミにとって、直接的な逆風になったってことか…。
②【商業環境の変化】郊外型ショッピングセンター(SC)の乱立
大店法の規制緩和を受け、広大な駐車場を持つ郊外型の大型ショッピングセンター(SC)が全国に次々と誕生しました。イトーヨーカドーやジャスコ(現イオン)、ダイエーなどが代表例です。
- 親会社「靴のマルトミ」への大打撃: SCには、ABCマートに代表されるような、豊富な品揃えと洗練された店舗デザインを持つ新しいタイプの靴専門店がテナントとして続々出店。安さだけではない魅力を持つライバルに、ロードサイドに小型店を分散させていたマルトミは顧客を奪われ、急速に経営が悪化していきます。かつて成功の鍵だった1,850店(1994年1月)という巨大な規模と、身軽な方向転換が難しいオーナーシステムが、完全に時代の足かせとなってしまったのです。
- バンバンへの影響: SC内にもおもちゃ売り場が設けられ、「ワンストップショッピング」(一箇所で色々な買い物を済ませたい)を好むファミリー層の流れがSCへと向かい始めます。バンバンの「郊外ロードサイド」という強みが薄れていきました。
③【黒船来航!】巨人「トイザらス」の上陸と市場激化
そして、日本の玩具業界を文字通り震撼させたのが、1991年の「トイザらス」日本1号店オープンです。1993年12月までの2年間で16店を出し、売り場は1店3,000〜4,000平方メートル。中小のおもちゃ店から店を畳むところが続き、マルトミ(バンバン)とチヨダ(ハローマック)も値引きを広げて対抗しました。
- 圧倒的なスケールメリット: トイザらスは、「玩具のカテゴリーキラー」として、他を圧倒する広大な売り場面積、国内外のあらゆるおもちゃを取り揃えた膨大な品揃え、そして低価格を武器に、一気に市場を席巻しました。
- バンバンへの直接的な脅威: トイザらスのような大型玩具専門店の登場は、バンバンや、同じく郊外型で展開していたライバル「ハローマック」(東京靴流通センター系列)にとって、これ以上ない脅威でした。品揃えでも価格でも太刀打ちできない強力すぎるライバルの出現により、既存のおもちゃチェーンは厳しい価格競争と顧客離れに直面します。

トイザらスができた時の衝撃はすごかったわよね!あんなにたくさんのおもちゃが並んでるお店、見たことなかったもの!店内を走り回れるくらい広かったし。確かに、あれは既存のおもちゃ屋さんにとっては脅威だったでしょうね…。

大店法緩和とSCの増加、そしてトイザらス…まさに時代の変化のトリプルパンチだったんだな。バンバンやマルトミにとっては、成功モデルが一気に崩れるような、厳しい状況だったんだろうなぁ。
そのトイザらスも2026年10月に民事再生|お店はドンキの会社へ
バンバンやハローマックを追い込んだトイザらスにも、2026年に大きな変化がありました。日本トイザらスは2026年10月1日、東京地裁に民事再生法の適用を申請しました。負債は132億2,600万円です(東京商工リサーチ 2026年10月1日)。
- 売上高はピークの2007年1月期に約1,943億6,500万円。少子化とネット通販との競争で、2019年1月期から8期続けて最終赤字でした
- 「ドン・キホーテ」を運営するパン・パシフィック・インターナショナルホールディングス(PPIH)とスポンサー契約を結び、事業を譲る予定です
- 店舗(2026年7月時点で158店)は、通常どおり営業を続けるとしています
9月末から10月初めに「おもちゃのバンバン」を検索した方は、このニュースで昔のおもちゃ屋さんを思い出したのかもしれません。郊外のおもちゃ専門店を淘汰した大型店も、30年あまりでネット通販に押される側になりました。

バンバンを苦しめたトイザらスまで…。おもちゃを買う場所は、町のおもちゃ屋さん → 大型店 → ネット通販と、ずっと移り変わってきたんだね。
おもちゃのバンバンの最後|2000年閉店とハローマックのその後
時代の変化という大きな波は、バンバンとその親会社を容赦なく飲み込んでいきました。

親会社「靴のマルトミ」の民事再生(2000年)
マルトミは1993年2月期まで16期続けて増収増益でしたが、1994年2月期に17期ぶりの減益となり、不採算の約180店を閉じます。売上高は1996年2月期の1,717億円が頂点で、1998年に最終赤字に転落。1999年3月には「3年で380店を閉じる」計画を出し、初年度に311店を閉じましたが、閉店で減らした固定費より売上の減り方のほうが大きかったのです。
2000年2月期は売上高1,211億円・最終赤字87億円。2000年12月、負債約761億円で民事再生法の適用を申請しました(帝国データバンク・The社史)。2005年にはファーストリテイリングが全株式を取得し、靴流通センターの店はFOOTPARKを経てジーユーの売場になっています。
「おもちゃのバンバン」の終焉
当然のことながら、「おもちゃのバンバン」も、その歴史に幕を下ろすことになりました。バンバンの店も、ほぼすべて閉店しました。
フランチャイズの一部は店名をそのままに営業を続けましたが、長崎県佐々町の佐々店(2017年3月閉店)や福島県の喜多方店(2021年3月閉店)のように、その後も少しずつ閉じています。チェーンとしてのバンバンは、こうして私たちの前から姿を消したのです。2026年10月8日に営業を確かめられたのは、湖西店と宮古島の「BANBANキッズランド」です(下の「現存店舗」の節)。
ライバル「ハローマック」も同じ道を…
ちなみに、バンバンと並んで全国のロードサイドでよく見かけたライバル「ハローマック」も、同じような道を辿ります。
ハローマックは「東京靴流通センター」のチヨダが1985年から展開したおもちゃ店で、最盛期は472店。2008年に全店舗が閉店しました(チヨダ「なつかしのハローマックの店舗」)。
白とピンクのお城のような屋根、覚えている人も多いのではないでしょうか?バンバンと共に、一つの時代を築いたおもちゃチェーンでした。2024年11月にはトイズキャビンから、お城の建物と「マックライオン」をミニチュアにしたカプセルトイ「あこがれのハローマック」(400円)も出ています。
もし倒産しなくても…厳しかったであろう現実
仮に、マルトミが行き詰まらなかったとしても、バンバンがそのままの形で生き残り続けるのは、非常に難しかったかもしれません。
- インターネット通販(Amazonなど)の台頭: 家にいながら、あらゆるおもちゃが手軽に、しかも安価に買える時代の到来。
- ゲーム専門店の成長: ゲオや、当時ゲーム販売も主力だったTSUTAYAなど、ゲームソフト販売に特化したチェーン店が、バンバンの得意分野を侵食。
- 家電量販店の玩具強化: ヤマダ電機やビックカメラなども、おもちゃ・ゲーム売り場を大幅に拡大し、集客力を高めました。
これらの要因により、「街のロードサイドにある、総合おもちゃ屋さん」という業態自体が、非常に厳しい競争環境に置かれることになったのです。
バンバンのビジネスモデルは、時代の変化とともにその優位性を失っていったと言えるでしょう。
おもちゃのバンバンの現存店舗|湖西・高槻・宮古島の現在
「おもちゃのバンバン」は、チェーンとしては2000年に撤退しました。ただし、フランチャイズとして看板を引き継いだお店がいくつか残り、湖西・高槻・宮古島の3店がよく知られています。2026年10月8日に、Googleマップと運営会社のページでそれぞれの今を確かめました。
「おもちゃのバンバン 現在」「跡地」と検索する方のために、それぞれの店舗情報をまとめました。行く前には、お店の営業を電話や地図で確かめてください。

「もうチェーンとしては消えたけど、看板を守って今も残っているお店があるんだよ。バンバン世代としては、その存在を知っているだけでちょっと嬉しい気持ちになるよね!」
静岡県のおもちゃのバンバン|湖西店
静岡県湖西市新所原2-4-7の「おもちゃのバンバン」(湖西店)は、2026年10月8日時点でGoogleマップに閉業の表示が無く、10時開店と出ています。3店の中で、おもちゃ店として「おもちゃのバンバン」の名前のまま地図に載っているのはここだけです。
品揃えや営業日は公式のページが見当たらないので、出かける前に電話(地図に番号が出ています)で確かめると安心です。
大阪府のおもちゃのバンバン|高槻店(地図では閉業)
大阪府高槻市の高槻店は、もとの如是町の店を閉じたあと、寿町に移ってカードゲームの専門店として営業していました。ところが2026年10月8日に確かめると、Googleマップに出てくるのは寿町の「BANBAN高槻南店」(カードショップ)だけで、「閉業」と表示されています。閉じた時期は分かりませんでした。営業を続けていると書いた以前の版は誤りでした。
沖縄県のおもちゃのバンバン|宮古島店(BANBANキッズランド)
宮古島の店は、宮古島の野津商事が「BANBAN キッズランド」として営業しています。運営会社のページでは、室内遊具・エアー遊具・カラオケBOX・トレカ販売で、営業時間は10:00〜19:00、場所は宮古島市平良字西里1003-1のドラッグイレブン西里店2階です(2026年10月8日確認)。同じ建物に入っていたTSUTAYAは閉店しましたが、こちらは営業中です。
Googleマップのクチコミには、旅行中に小さな子どもを連れて遊ばせた、という声もあります。今は「おもちゃ屋さん」より、雨の日にも遊べる室内の遊び場に近いお店です。ちなみに野津商事は、ハローマックを運営していたチヨダの「東京靴流通センター」の宮古島店もフランチャイズで運営しています。
おもちゃのバンバンの跡地はどうなった?
閉じた店の跡地は、100円ショップ・靴店・書店・カメラ店・古着店など、ほかのロードサイドのお店に使われている例が多く知られています(Wikipediaの店舗一覧の注記。セリア、東京靴流通センター、ブックタウン、カメラのキタムラ、古着店など)。
郊外ロードサイドの広い駐車場付き物件は、現在の小売業態とも相性が良いためです。
ライバルの「ハローマック」も、お城の屋根の建物が別のお店に使われているのを見かけることがあります。
おもちゃのバンバンが残したもの|昭和おもちゃ屋の記憶とこれからのおもちゃ選び
こうして、多くの子どもたち(そして、かつて子どもだった私たち)に夢とワクワクを提供し続けた「おもちゃのバンバン」は、その役割を終えました。あのポップな看板を見ることはもうありません。

なんだか、時代の流れとはいえ、やっぱり寂しいね…。バンバンでファミコンソフトを選んだり、友達と最新のおもちゃの話をしたりした思い出は、僕にとって色褪せない宝物だよ。あのワクワク感は、今のネット通販じゃなかなか味わえないものかもしれないな。
しかし、バンバンが消えたからといって、おもちゃの魅力が失われたわけではありません。バンバンで胸をときめかせた私たちが親になり、今度は自分の子どもにおもちゃを選ぶ。おもちゃを買う「場所」は変わっても、おもちゃが与えてくれる「夢」や「学び」、「親子の時間」の大切さは、決して変わらないはずです。
「おもちゃのバンバン」は、まさにおもちゃが輝いていた時代の象徴であり、私たちにたくさんの笑顔と思い出をくれたヒーローでした。その記憶は、きっと多くの人の心の中で、今もキラキラと輝き続けていることでしょう。
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